と。

と。

日本での貧困に関する言説による"推察"

はじめに

就職するのでどうせ研究することもない(が,雑誌論文として世に出るかもしれない)し,自分の研究に関連しつつも修論では捨象したことについてまとめておく.

私が卒業論文修士論文で取り扱ったのは「社会的排除」とくに「貧困」の一側面である.テーマ的にも実際に執筆した成果的にもありふれており,別段面白いものでもないのだが,それはそれ*1

捨象したこととは,突き詰めて言えば「貧困の定義」である.よく絶対的貧困相対的貧困がある,ということはWikipediaを見ればわかる.絶対的貧困はおいておいて,相対的貧困の話をすると「相対的貧困は本当に貧困なのか?」という話で賛否両論である.今回はこの話について,人の言説を質的に見ることで考えてみたい.

インターネットの海を漂うこの記事が,どんな知識背景の人に読まれるかわからないので,とりあえずレギュレーションを述べておく.

この記事にあることが貧困の全てではない

この記事での考察は,「貧困」という社会現象の全てを記述・説明するためのものではない.そもそも,(これは貧困に限らず社会にあるあらゆる概念に対していえるのだが)貧困という社会現象に対して良い記述・説明を与える理論について同意が得られているわけではない*2*3

したがって,ここで推察する事柄を世の中の貧困に広く適用して考えることは賢い人間がすることではない.あくまで修士学生という若造が,自身の研究の残り物で考えた「論考の残滓」であることを忘れずに読んでいただきたい.

具体的な議論ではない

この記事は「どうすれば貧困がなくなるか」という問いに答えるものではない.この点で「実際に問題解決のために動く」ことからも「政策を問う」ことからも遠い.「貧困」を純粋に社会という場で発生する「現象」として,学術的対象として貧困を捉えようとする試みである*4.「今ある貧困をどうにかする」ための議論ではない.

つまるところ,ここに書くことはまさに「机上の空論」である.

 

……これくらい書いておけば分かる人にはわかってもらえるだろうか.

正直ここから長いので続きを読む機能を使う(最初から使え).

 

*1:私の知る「ちょっと厄介な」社会学の人には「なぜ私がこの研究テーマを選んだのか」ということにこだわるタイプが一定数いる.正直な話,そんなことを語るのは飲みの席で十分であるにも関わらず,フォーマルな場でそれを語りたがるのはなぜだろう.至極無意味だと思う.

*2:たとえばこの論文(Callens and Croux 2009)でもそのように前置きをした上で,限定的な記述・説明を可能にする社会理論を提示している

*3:どのような記述・説明が「良い」かはまた別の記事で書きたい話なので,今回は「単純明快に」程度の意味合いでとどめておく

*4:このあたりの立場はDurkheimの方法論を過大に解釈した結果こういうことになった.

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社会科学系院生,就活をした.

企業からのお祈り通知で気絶した管理人です.

 

 

とりあえず(すべてうまく行けば)春から会社員であること,

Twitterのフォロワーには修士で就活予定の人がいるようなので,

自分語りをしようと思います.具体的には,時系列に沿ってダイジェストでお送りします(すでに具体的ではない).

就活を終えてみれば,内定は2社からのみでした.本エントリーしたのは10社くらいでした.サイレント3,一次面接落ち4,最終落ち1,内定2……くらいだったように思います*1

勝率2割.よほど魅力のある人間でない限りはこんなもんだと思います.

就活はM1から始めた

私の場合,就活はM1の6月には始めていました.具体的には公務員になることも考えて最初は公務員講座も受けていましたが,今思えばなんて意識の高いことをしていたのでしょうか.損ではありませんがコスパは悪かったように思います.

結局大学による公務員講座は始めて1ヶ月で辞めました.理由は学部生ならまだしも研究・民間・公務員の3足のわらじはあまりにもきつかったからです.

民間就活と研究に注力しよう……とはいっても,アレナビやソレナビ,ナントカタスなど,主要な就活サイトに登録して,企業探しをしては「社会に出れるのだろうか」だの「Dでやっていけないだろうか」だの考えながら最終的に気分は落ち込む,みたいな活動しかしていませんでした.

就活あるあるに「仕事選びの軸を見つける」みたいなことがあると思います.就活サイトの思惑にどっぷりハマっちゃうのは悔しいと思いながらも,なんだかんだ指標をおいたほうがやりやすかったです.

ちなみに私は社会科学系で調査や統計で研究する系院生だったので,仕事でも調査か統計を使えるといいなあ,と思いながらそういう業界をメインに企業研究をしていました.この判断については今も間違ってはいなかったかなあと思っています.

M1の7月には初めてインターンシップに行きました.ここから何回かインターンには行くんですが,全部短期(1Day~2Days)のインターンしか行っていません.修士とはいえ院生,研究者の端くれだと思っていた私は,1週間企業に缶詰になるくらいなら修士論文に向けた文献を探したかったので.

M1の12月には初めての採用面接を受けて祈られています.ベンチャー外資系だとすでにこの時期には内定を決めていることが多いらしいです.工学系の友人もこの辺りで内々定をもらっていたようでした.

M1の3月には内定1社

M1の3月には軸に合った統計で仕事ができるような会社に内定をもらっていました.本命の企業は別にあったんですが,メンタル的には後がない状態になるのが怖かったので,この辺で1社持っておきたかったこともあります.

それでもその後の選考で企業に祈られて気絶したんですけどね.

3月には多くの企業が情報を解禁し,私の所属する大学でも合同説明会がありました.

今思えば活用できなかったイベントの一つです.焦りに任せてとりあえずプレエントリーしまくった記憶がありますが正直なところそんなことしても意味はなかったです.なぜなら相手も自分もお互いを求めていないから……

M2の4月・5月はほぼ東京に行かず

就活の軸に合った企業は多くが6月から始める律儀な企業で,4月5月は比較的研究に注力できたと思います.仙台に住む私としては,企業が仙台で説明会を開いてくれることもあり,4月・5月で東京に向かったのは1~2回だったと思います.

何社かからはリクルーターがつき,通称「リク面」と呼ばれる,喫茶店などで人事担当と話をするアレを受けました.

リク面については正直「何を見られているのか全くわからなかった」です.とりあえず就活サイトやらネットで調べる限りの対策をして,話をしていると,人事の「採用する気がない人間に対する表情」というのがわかるので,祈られて気絶した企業での面接でもそれを察することができました.

内定がすでにあるとはいえこのご時世.初手が大体を決めるような労働市場で妥協はしたくないので,実はこの辺りで今の内定先にアプローチをかけています.

M2の6月,本採用面接,そして失神へ――

6月は面接のスケジュールを調整し,1週間まるまる面接のために東京に行っていました.特に本命に近かった某社は1次面接から内定までの期間が早い,というネット評判もあり,決めるならここで決めたいとも思いつつ,スケジュールを組んだことを覚えています.

今思えばこの東京遠征の前日にF○Oなんかはじめなければよかったのかもしれません.

実は同じ日程で研究室のボスに誘われて海外報告の枠をもらっていたのですが,会社員になることを確定していた私は業績よりも内定先の確保を優先しました.

本命に近かった某社との面接は集団面接で,その後グループディスカッションがありました.

本命を受けるまでグループディスカッションはしたことがなかったので,このあたりで「あ,終わったなぁ」と思いました.実際,面接官はリク面で見た「採用する気がない人間に対してする表情」だったのを覚えています.

面接から2日後,選考結果が来ないとスケジュールが組めないとカフェで唸っていた私に届いた通知は不採用通知でした.

「やっぱりだめだったか」と軽く受け流せるかと思っていたのですが,強い寒気と吐き気がしてきました.我ながら「え,そんなにショックかよ……」って思いながらとりあえずトイレに向かおうと席を立ったはずでした.

……気がついたら知らないおじさんに「大丈夫か!?立てるか!?」と支えられていました.

そう,ここで私は失神したのです.「あ,ありのまま,今起こったことを話すぜ!PCの画面を見ていたと思ったらカフェの床に横たわっていた……」状態です.あの時のおじさんありがとう.私は元気です.

とりあえずぶっ倒れたおかげか,吐き気や寒気は緩和されたのでトイレに向かい,思考を整理することを試みましたが無理でした.どうしても「就活で失神したとかTwitterに書き込むしかねえだろ」という気持ちしか沸いてこなかったのです.

そしてこのツイートです

 

 その後一時期イノーラ・レブッタオーレと名乗った時代もありました.

東京で働く友人に「就活で失神したんだけど」と連絡したら「ボルダリング行く予定だったけどそんなもんはいつでも行けるからアキバに集合な」と寿司を奢ってくれました.

その時の様子がこちら

 友人はうまい飯に連れて行ってくれた上励ましてくれました.

ちなみに6月は研究活動よりも就活に注力した月でした.その結果研究室内の研究報告はズタボロでしたが.

M2の7月,就活の終了

春に入社予定の企業には6月下旬に内定を頂いていましたが,先輩つてに紹介された最後の1社を受けるため,内定の確約を延期していました.

最後に受けた企業でもグループディスカッションがあったのですが,リーダーとしてイニシアティブを取りたい人間しか集まらないグループにまとめられ,逆質問もまともな回答をもらえず散々な結果でした.通知の結果を待つことなく内定承諾の旨を送付しました(祈られてましたけど).

就活をしてみて: 結局よくわからない

最終的には設定した軸に合った企業で仕事ができそうなので良かったとは思います.これから後悔しないか?と言われるときっと後悔はするんですけれども.

なお,実際転職は視野に入れています.これは内定先が悪いとかではなく,今後労働市場が流動化することを予見した社会科学的な直感からくる行動です(?).

就活を通して少なくとも「修士院生は学部生と同じスケジュールで就活すると失神する*2」「自分が思っている以上に自分は弱い」ということはわかりました.

という感じで,就活は結局よくわからないシステムだなと思いながら,明日から実践できることを軽くまとめます.

1. Webテストは繰り返し解く

SPIとか玉手箱とかですが,とりあえず本を買ったものの結局やってないです.ググるとテストセンターのシミュレーションができるサイトとかが出てくるので,それを4回位繰り返し解いていたらどうにかなりました.

本は1冊あればよいと思います.よくある「総合テスト」みたいな項を先に解いて得点率の低い部分をフォローすれば良いのかもしれません.

2. グループディスカッションは10連ガチャ

グループディスカッションは10連ガチャみたいなものだと思いました.うまく回ったらSSR☆5だ!と思えばいいし,うまく回らなかったら不幸だわ……という軽い感じで諦めましょう.唯一選考が通ったグループディスカッションでは,①ゆっくり話す②タイムキーパーとしてイニシアティブを確保する③否定的な言葉を使わず④進行役に結論を促す,みたいなことを心がけていたかなあと思います.多分①とか③とかが有効です.「ふざけてんのか」と思うくらいゆっくり話すくらいがちょうどいいと思います.

3. 研究の話は平易に説明する

面接では「研究の話は割と聞いてくれる」と感じました.具体的には可能な限り専門的な用語を使わずに,自分の専門・研究について話すことができたところで内定が取れたと思います.突っ込んだ質問をされたら,用語を使いつつ説明してもいいと思います*3

4. メルマガは学部生と同じ密度でやってくる

就活サイトですが,○○ナビは登録しました.加えてア○リクやサ○ーターズといった修士向け・エンジニア向け?のサイトにも登録していました.ア○リクはあまり使いませんでしたが*4,サ○ーターズはセミナーに出ると,企業の人と交渉次第で非エンジニア職(営業とか)を紹介してくれることもあります.

ただ,登録すると学部生でも対応しきれないほどのメルマガに翻弄されます.「ここまでしないと内定もらえないのか」と焦らせるプロなんだなぁ……と思いますが我々は院生.落ち着いて対処しましょう.通知を切る……これだ……

5. 研究を疎かにしてはいけない(戒め)

研究との両立については正直うまく行ったとは思っていません.今思えばもっと効率よく研究を進められたと思います.正直面接前にその対策を練る時点で遅いでしょうし.面接前に先行研究を探してもパフォーマンスには影響ないと思います.

とはいえ,研究も就活もメンタルのエネルギーを大きく消費するので,私は週単位で研究と就活を分けました.「今週は研究」「今週は就活」という感じで.メリハリという点ではうまく機能した,と思います.

私の場合,研究の話をしっかり聞いてくれた企業から良いお返事をいただくことができたので,「研究を活かしたい」と思っている人は研究活動を疎かにしないほうがいいと思います.

 

……と長々と書き連ねましたが,結局のところ就活で失神したことをいい思い出にしたいだけの自己満足なので,面白おかしく笑ってください.

 

*1:その他メールチェックを怠った結果選考をブッチした企業があります.

*2:個人差があります

*3:私が使った中で一番専門用語っぽかったのは「パネルデータ」「スクレイピング」「ロジスティック回帰分析」でした

*4:スカウトはいくつか受けましたが,日程等が合わずお断りしました

Poisson分布でどう使えばいいかわからない性質の話

はじめに

修士論文は無事書き終えました.

そんなことよりも「これ,面白さはあるんだけど一体どういう局面で使えばいいんだ」という事実を見つけ,見たところ日本語での証明方針はなさそうだったので(いくつかヒントはありましたが),備忘録的に残しておきます.

Poisson分布の地味な性質

Poisson分布の話です.ある確率変数 X \in \mathbb{Z}

 P(X=k)=e^{- \lambda}\frac{\lambda^k}{k!}\tag{1}

で表されるとき( \lambdaはパラメータ, eネイピア数です),確率変数XはPoisson分布に従っています.

Poisson分布単体は色々な応用先があります.たとえばブログの1日あたりの閲覧数とか,1日にあのレストランを訪れる来客数とか,駅周辺にあるコーヒーチェーンの数とかがPoisson分布に従うことが知られており,ビジネスでも大活躍の確率分布です.すごいね!

Poisson分布は実現値が自然数である場合に有効です.正の連続値であればGamma分布とかErlang分布とかがよい近似を与えます.

地味な性質の簡単な証明

最近知ったPoisson分布の悩ましい性質というのは

ポアソン分布に従う確率変数の実現確率は,奇数より偶数のほうが高い」

という性質です.へぇ~ボタンがあれば8へぇ~くらいの驚き度合いでした.

一応証明もメモ程度に書きなぐっておきます.せっかく \LaTeX記法が使えるので.数式の展開はガバガバかもしれませんが,その点はコメント等でご指摘いただければ僕の勉強にもなりますんで,よろしくお願いします.

 

ポアソン分布に従う確率変数のうち,偶数の出る確率と奇数の出る確率は独立です(証明は省きます).

すなわち,ポアソン分布において「奇数かつ偶数が出る確率」は0,ということです.

ここで,「偶数が出る確率」は,偶数の実現確率の総和なので

{ \displaystyle \sum_{k=0}^{\infty}e^{- \lambda}\frac{\lambda^{2k}}{(2k)!}\tag{2}}

 で表現できます.逆に「奇数の出る確率」は

{ \displaystyle 1- \sum_{k=0}^{\infty}e^{- \lambda}\frac{\lambda^{2k}}{(2k)!}\tag{3}}

 「偶数の出る確率」(2)を書き下すと,

=e^{-\lambda}+e^{-\lambda}\frac{\lambda^2}{2!}+e^{-\lambda}\frac{\lambda^4}{4!}+...\tag{4}

という形で書き下せます.

ネイピア数は偉大です.\lambdaについての指数関数e^\lambda\lambda=0のまわりでテイラー展開すると

e^{\lambda}=1+\lambda+\frac{\lambda^2}{2!}+\frac{\lambda^3}{3!}+...\tag{5}

 一方,-\lambdaについての指数関数e^{-\lambda}も同様に\lambda=0の周りでテイラー展開すると

e^{-\lambda}=1-\lambda+\frac{\lambda^2}{2!}-\frac{\lambda^3}{3!}...\tag{6}

でそれぞれ表現できます. ん~?

 どうやら式(4)は(5),(6)を使って

e^{-\lambda}\frac{1}{2}(e^\lambda+e^{-\lambda})

=\frac{1}{2}(1+e^{\lambda})

と表現できそうです.すなわちポアソン分布に従う確率変数の実現値が偶数である確率が\frac{1}{2}(1+e^{2\lambda})である,ということです.

式(3)に代入すれば,奇数が出る確率は\frac{1}{2}(1ーe^{2\lambda})となります.

命題は数式で表せば

\frac{1}{2}(1ーe^{2\lambda}) < \frac{1}{2}(1+e^{2\lambda})

ですが,ここまでくればもう分かる通り,(左辺)-(右辺)は負になります.

つまり「奇数の出る確率」より「偶数の出る確率」のほうが高いことが確認できました.

で?

Poisson分布において,「奇数の出る確率」より「偶数の出る確率」のほうが高いことがわかった……んですけど,これって何に応用できるんですかね?

怠惰な人間なので,テイラー展開とか久しぶりに使ったこともあり計算そのものは楽しかったんですけど,たとえば統計分析のPoisson回帰だとか,Poisson過程でとか,応用できる性質なのでしょうか.思い浮かびません.やっぱり8へぇ~くらいですね.

最近の話

最近はRがver. 3.4.2にバージョンアップしたり,Rstudioがバージョンアップしたりしまして,研究開発環境のバージョンアップが加速しました.

 

あ,Visual Studio Codeも導入したりして,PythonRubyを勉強する環境ができました.あとは勉強するだけです.……

 

最近研究周りできっかけづくりのために読んだ本は以下の2冊.

www.amazon.co.jp

 

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一通り読んで「確かにそういう現状,あるよね~」という感想でした.

本間氏の書籍では,「ちゃんとした」家に住めていない人が増えているという問題を,

過去の持ち家優遇政策から現代若者の居住貧困に至るまで長い推移を論じています.対比対象には「住む権利」を基本的人権として認め法整備を進めるフランスを挙げ,日本での住宅格差の深刻さと,それに対する政策導入の必要性を論じています.

 

稲葉氏の書籍は,彼自身が応対した経験も踏まえ,日本の社会保障制度の最後のセーフティネットである生活保護制度の現状を批判的に検討しています.

給付額の引き下げや,受給者の状況などを取り上げながら,制度が「機能不全」であると論じます(とりわけ空調設備は生活保護制度では賄えなかったということが事実としてあったらしく驚きました).よく聞く「水際作戦」や自助・共助の限界といった問題に話を進めます.

 

両方の書籍とも,日本における社会的弱者が抱える問題や,それを支える制度について論じるものですが,どちらもNPO法人との関わりに触れています.

とりわけ本間氏の書籍ではNPO法人と民官の連携による住宅問題の是正へ期待を寄せており,本間氏の書籍では提言こそ政策に向けたものですが,それでも生活保護を必要とする人びとと窓口をつなぐNPO法人の存在を評価しています.

 

……個人的には,NPO法人の活躍は,制度が変わるまでその役割を代替する存在であり,制度が整った時にNPOが解散することが,制度が対象を救済できている証左として重要だと考えています.社会学だと「NPOの存在・活動が社会的弱者を救済している」という論じ方をしますが,そもそも彼らが公的な制度によって包摂されていれば,社会的弱者を救済するNPOも必要ないはずなので,「NPO法人による解決」を主張する論調は少し怖いなあと思います.

これは私個人が大きな政府論に支持しがちというところからも来ているので,小さな政府論を支持しがちな人はNPOによる解決の主張は妥当性を持つものになるんだと思いますが……いやはや,社会問題って難しいですね.

 

まとまりがないまとめでした.

上野千鶴子「みんな平等に貧しくなるしかない」←本当か?

 

実はメインはこれじゃない

後半眠くなったのでそのうち編集しますがこのまま公開します.

さて,先程の記事は実は飾りだ……

chuplus.jp

実はこの記事に対し,「それじゃあ筆者が『敵認定』せずにちゃんと批判しちゃおうじゃあないか」というのがメインです.

そのためには,上野の発言の何処を批判するのか,ちゃんと線引をしなければなりません.ちゃんと読んでちゃんと批判したいです.

あ,これは個人的な意見ですが「ある社会が衰退する」ことは,僕は別に考えてはならないことだとは思っちゃいません.むしろ社会学者として社会の衰退を考えることは重要だと思います.上野千鶴子のこの発言の問題は,「日本の衰退」の根拠がガバガバで,それに至るまでの諸々がガバガバであることです.まあ学術論文でもないのでそういう所を変にボコるこの記事もこの記事でアレですが.

あらかじめことわっておきますが,筆者は主観を批評しません

「上野的にはこう思う」を「こう思うな!」っていうことに何の意味もないからです.

具体的には,

 主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。

という部分は今回あえて無視します(できませんでした).

……あくまで本人が客観的に述べている点を見てみようと思います.

「日本は衰退以外ない」らしいです?

「日本は今,転機」らしいです.何の?

おそらくそれは後の文に出てきます.国語の解説みたいですね.

移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。

 つまるところ,「今の日本は人口が減少している」という問題に立脚して,「日本の衰退」を語るようです.なるほど.

「日本の人口が減少している」と言うのは厚生労働省的にも認めているようです

http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/dl/07.pdf

また,国立社会保障・人口問題研究所でも人口減少の問題を指摘しているようです.

http://203.181.211.2/pr-ad/j/soshiki/ipss_j2014.pdf

細かい論文を見なきゃいけないのはおっしゃるとおりですが,

とりあえず,ここでは「日本の人口は減少している」ということを受け入れましょう.

人口維持のためには「自然増」と「社会増」?

人口を維持する方法は二つあります。一つは自然増で、もう一つは社会増。自然増はもう見込めません。泣いてもわめいても子どもは増えません。人口を維持するには社会増しかない、つまり移民の受け入れです。

ここは重要な部分です.なにせここから「衰退」を導いているのですから.

ここでは,批判点を幾つかに分けてお話します.それ以外の批判は他の人に任せます.

「自然増」「社会増」って何?

まず,この2つの概念を整理します.この2つは人口学の概念(らしい)です.

「自然」は出生数と死亡数の差,「社会」は移住者の数(場合によっては転出者との差を取る場合もあるっぽい)を指すようです.

これらは人口の変動に関わる2要素です.人口減少は自然減,社会減あるいは(自然,社会)の人口変動の和が負になる時に起こるようです.

人口学上,人口変動をこの2つの要因で考えることには一定の同意があるようです.

*1

上野が人口減少の原因を自然要因,社会要因の2つで考えていると仮定して,話を進めます.

「自然増」は本当に見込めないのか

上野は「自然増は見込めない」と述べています.それには「社会学的なエビデンスがある」とも.正直そんなエビデンス知らないんですけど.どの論文に人口の自然増が見込めないって書いてるか教えてほしいです.むしろ政策次第で自然増が見込めるかもしれないというエビデンス見つけちゃったくらいです.

自然増の条件は定義に従えば「出生数が死亡数より大きい」ことと言えそうです.

確かに日本は少子化が叫ばれていますし,このことは先進国一般に言えるとも言われます.とりわけヨーロッパでも少子化は社会問題として取り上げられます.

一方でヨーロッパの中には,自然増が起きている国もあります.フランスです.

www.esri.go.jp

この記事の事例では,フランスの出生率の高まりの要因に社会政策を挙げています.

具体的には育児支援が,経済的にもサービス的にも充実しているということを指摘します.事実,人口は近隣ドイツのそれよりも高い比率で増加しているようです.

フランスの出生率2.01 - La France au Japon

在日フランス大使館による報告によれば,自然増による人口増加が認められるとのこと.フランスでは政策によって家族を支援する体制が整っていて,コレが人口の自然増を後押ししていると述べています.

これが将来的にどうなるかは分かりません.誰にも将来は分かりません.フランスは実績として,自然増を達成しているということ,政策がよい効果を与えているらしい,ということは言えそうです*2

 で,日本での人口自然増が見込めないという推論の「社会学エビデンス」は何処ですかね……*3

日本は「社会増」に対応できない?

客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。

と,上野は述べています.

ここでいう「世界的な排外主義の波」とは何か.

辞書通りの意味であれば「外国人と,それに関わる色々を自国から排除しようという考え方」でしょう.

ヨーロッパでの移民問題や,アメリカのトランプ政権下での外国人排除の潮流を踏まえて,このように述べているのだと思います.

一方で,日本は外国人労働者を受け入れる様になりました.しかし,劣悪な賃金体系や生活環境が問題にもなっています.

さらに言えば,「労働力不足に日系人を充てよう」みたいな発言があったり,外国人に対する日本での労働需要が低かったりと,労働力目的一つをとっても,上野の言うように,外国人を受け入れるということに苦しんでいるようにも見えます.

ただ,これらはぶっちゃけ国内の制度構造に問題があるのであって,実際日本人がどれだけ排外主義であるか,ということには直接は結びつかないように見えます.

「日本人が排外主義だから制度が充実しない」という論も通るんですけど,ちょっと資料が足りないです.なにせ日本の排外主義意識は大体お隣の国に対するもので,近年増えている東南アジアからの移民・労働者や,難民などに対する意識については研究途上だからです.

さて,現状の日本は社会増に対応できないかどうかではまあ「できていない(今後もできないとはいっていない)」と言うほうが近いと結論します.できていない要因は見かけ上不十分な制度整備にあるのであって,「排外主義の波」に飲まれているからとは必ずしも言えないと思います.

ちょっと主観を見てみると「移民は日本にとってツケがでかすぎるので,多文化共生に耐えられない」という主観らしいですよ.だから社会増は無理なんですって.へー.

根拠が主観

無視しますけど.

「人口減少」は「衰退」と繋がるか?

上野は「日本の人口減少」を取り上げ,将来的な「自然増」は見込めず「社会増」には社会が適応できないので,「社会的不公正や治安の悪化」の伴う「活力ある社会」より「外国人を締め出した平和にゆっくり衰退する社会」を実現するべきだ,と述べます.

(日本は自然増が見込めず社会増に耐えられないの)だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。一億人維持とか、国内総生産(GDP)六百兆円とかの妄想は捨てて、現実に向き合う。

 さらに

日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。

とも.この辺がキモですね.

上野の言う「衰退」は何を意図しているのでしょう.文脈からすれば,「一億総貧困化」とも言うべき過程を「衰退」と呼んでいるらしいですけど.

この記事では「衰退」を「一億総貧困化」と仮定して話を進めましょうか.果たして「人口減少」が「一億総貧困化」といかに繋がるのでしょう.

……ある人はこう言っています.

 

55-years-old-blog.hatenablog.com

誰だかは知りません(えっ).

この人曰く,「人口少なくても国民一人あたりGDPを日本より高く保ってる国めっちゃあるし人口減少は必ずしも貧困にならなくね?」というお話.

人口減少があっても,豊かな生活は送れるということになる,とも述べています.強く出たなあ.

他の国が如何にしてそれを可能にしているかまでは示していませんが,データはそう言っているらしいですね.

そもそも「総貧困化」なんてものは起こり得ないんですよね*4.国民全体の所得がどんどん下がっていくことを貧困化と考え,「衰退」と定めているなら,それは上野先生,貧困理論を抑えてない.

では「衰退」が「国力の減衰」であるとするならば?

それなら筋は通りそうです.でもそれは人口減少が止められないなら,の話です.

先に述べたように,人口変動には自然要因と社会要因があります.そして,どっちも「政策が上手く行けば」増やすことは(理論上)可能です.ある国でできたからと言って日本でうまくいくとは限らないですけど,政策による介入が上手く行けば,「皆平等に貧しくなる社会を歩むべき」日本にはならないでしょうねぇ.

皮肉にも

私は「制度を動かすのは人」が持論

と仰っていましたが,出生数を上げる制度が整備されれば,上野の主張は崩れます.

……問題はそれがちゃんと整備されるのか,というところですが.

「みんな平等に貧しくなるしかない」という主張には「や,まだどうにかなるっしょw」というくらいの反論はできそうです(弱々しい).

結局「政策・制度次第」かよ!

上野の主張に対する批判としては

  1. 人口の自然増は政策次第で日本でも「見込める」ので,「人口減少不可避」という前提がおかしい.
  2. 「社会増も無理」の根拠としての排外主義には根拠が足りていない.というか根拠が主観.
  3. 人口が少ないからと言って一人ひとりが貧困になるわけではない.
  4. ところで何を以て「衰退」と成すの?

というところです.マルサス的にも人口の抑制はむしろ貧困や飢餓の抑制に効くらしいですよ.

致命的なのは,「日本の緩やかな衰退」を主張する根拠が,今回無視した主観に依るところです.確かにヨーロッパを中心に移民の受け入れ,難民保護は議論になりますし,排外主義的な方針が目立ちますが,そもそも「排外主義」が道徳的に善いものとして受け入れられているわけではない以上,何らかの形で彼らを社会に包摂する流れになると思います(甘い希望).

そもそも日本で移民や難民が議論されるのは近年の話であって,国も「これから移民とか受け入れていく必要はあるなあどうしよう」というところだと思われる中,「日本が多文化共生社会に適応できない」と主張する挙句,その根拠が「ツケがでかすぎる」という野獣先輩新説シリーズもびっくりな主観的基準なので,社会増が無理かどうかは「いや,わかんねっすけど……」となります.

筆者は移民や難民,それを取り巻く政策や各国の対応,国民の意識等には詳しくはないのでコレ以上は言えません

上野の「社会保障制度の充実」という社会民主主義的(北欧諸国みたいな)な方向性については別段反論はないです.高負担・高福祉の社会で国が回っているなら,それはそれで良いとは思います.

でもその社会にも色々問題があるのです……

でも……?

「社会がなんやかんやで間違いなく衰退する」という局面に直面した時,社会がどう変化するのか,という思考実験は面白いと思います.筆者はTwitterでこの点だけは評価してました.

社会過程の中で,社会がどう形成され,発達し,成熟するのか,というところまでは考えが及びます.しかし,誰も「社会はどう衰退するのか」について議論していないようにも思われます.

宇宙の始まりと宇宙の終わりが議論されるのと同じくらい,社会の始まりと,社会の終わりについても議論されて良いんじゃないですかね.

勿論抽象的な話です.今の日本がそういう過程にあるのかについては別途データなりなんなりで示す必要があります.ある社会S(SocietyのSであってSyakaiのSではない)が衰退する場合,どのようなシナリオが考えられるか,という話であれば,今回の記事は何かしら示唆を与えるのかもしれません.

 

*1:以下はその一例です.

http://www.lij.jp/html/jli/jli_2015/2015spring_p061.pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/tga1948/16/1/16_1_7/_pdf 

*2:厳密には政策が導入される前と後で,様々な変数を統制し比較した上で結論しなければなりません(ほら,DiDとかそういうの使ってね).

*3:筆者の所属する社会学界隈では「社会の現状はこうであるが,それはコレコレという現代の情勢が前提にあるので,その前提を外しかねない将来を推論することは危険」と教わりました.

*4:現在先進国で広く用いられてる概念は「コレくらいの所得がウチの国で暮らせるギリギリの生活水準だけど,その水準以下で暮らしてる人たちー!君たちは『貧困』でーす!」という基準(相対的貧困)なので,どんだけ国民の所得全体が下がったところで,その基準も同時に下がるので,「皆貧しい!」って状態はありえないんじゃないんですかね.

上野千鶴子「みんなで貧しくなろう」社会学者「敵認定!!!」←は?

 「悪い発言したら『敵認定』です」?

思い出したかのようにこの記事の話をします.

chuplus.jp

この記事の中で,社会学者の上野千鶴子は「平等に貧しくなろう」という主張をしました.

 

勿論この極論は大炎上です.そりゃ当然ですよね

 

「実を言うとこの国はもうだめです.

突然こんなことを言ってごめんね.でも本当です.

近いうちに排外主義の波がやってきます.それが終わりの合図です.

程なく多文化共生に耐えられなくなるので気をつけて.

それが止んだら少しだけ間を置いて,終わりが来ます.」

 

つって「終りが来るので犠牲の少ない軟着陸の仕方を求めるべきだ」と主張するのですから.しかしながら筆者個人はある人のツイートに「は?」と思いました.

 ……この人も一応社会学者なんですよね.学者が学者を「敵認定」するという構図,筆者はここに界隈の闇が詰め込まれているなあと思います.社会学の嫌いなところですね.

このツイートの後でレイシズム植民地主義批判に立脚した根拠付けを試みていますが,上野は「日本が衰退するしかないのだから犠牲を出さないように『衰退』する方向に舵を切るべき」という主張の根拠(まあこれがガバガバなんですけど)の一つに移民政策の失敗可能性を指摘しているので,主張そのものへの批判としてはお門違いだと思います.

同じ社会学者なら「敵」認定などせず,ちゃんと学術的に,根拠を持って批判してほしいです.それができない時点で学者の風上にも置けないですね.

 

……続く.

多様性って何?というアレ

最近話題ですね,これ.

www3.nhk.or.jp

 

これに対しての意見です.

 

社会学をやっている身からすると,このニュースは「多様性」と「偏見」という部分で面白い話だと思うんですよね.

我々がいま「多様性を認めることが社会的あるいは道徳的に正しいことだ」という価値観を持っているのはなぜなのかを考えると,なぜなんでしょうね.

奴隷解放運動という国家間,身分制の撤廃による身分間,公民権運動による人種間,そして近年の性別間の違いを,社会関係における優劣の基準としないようにしていく動きがあるように思われます.共通しているのは「我々が【選べない】要素を我々が選べるモノに【選ばれる】基準にしない」ことなのだと思いますが.

我々が【選べない】要素は,生まれた場所,人種,性別……あらかたコンプリートされているのでは?とも思われます.勿論「まだ完全に解決されていない」事は分かっています.しかし社会において,上のような出来事に2つの相反する反応がある事も認めねばならないのが多様性です.【選べない】要素による差別が完全に消える事は,ある意味【選べない】要素による差別を認めようとする人間を多様性の外に追いやるとも解釈されましょう.多様性を認めるとは,難しいことです.そこに道徳や倫理によって方向付けを行い,それらに照らして認められる多様性のみが生き残る,それを「正しい」として考えずに生きるのがきっと楽なのでしょう.私には死ぬまでできません.

……話を戻しましょう.この「機会の平等」化とも言うべき多様性の認容の次は何が来るのでしょうか.

 

AIの台頭による労働市場,労働構造の変革と機会の平等が達せられた先に,どのような不平等が考えられるのでしょう?

……そういう話をする暇が,ほしい.そういう時期です.