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社会科学系院生,修士課程RTA完走の感想を述べる

先日卒業単位が全て出揃い,無事に修士課程の修了を勝ち取ることができました.

次の課題は4月からの入居先なのですが,これがまだ決まっていません.

「引っ越し難民」とかいう言葉もあるらしく,出費が地味にキツいなあと思います.

 

さて,今回はタイトルの通り修士の2年間を振り返ってみました.

D進ルートを捨てて修士課程RTAは最短の2年で完走しましたが,その中はガバガバプレイの連続だったのです……

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結局「文系学問での修士課程」の進路ってアリなの?

私はアリだと思う

 結局「興味のあることについて考えること」を続けたい,それを成果として残したいという意志があれば,大学院進学は,修士課程までなら,文理を問わずアリな選択だと思う.

私自身勉強は嫌いではなかったし,考えることが苦でなかったことは,(少なくとも修士課程までは)大学院進学に向いていたと思う*1.「興味のあることについて考え続けたい」と思ったら,あとは金次第だと思う.金策については別で書くとして,文系で大学院進学を渋っている学部生が,一人でもこれを読んで参考にしてくれればそれで十分である.誰も参考にしなくても,電子の海に消えるだけである.

特定の条件で強くなるのが修士卒の社会人

まず「就職を前提とした修士進学」について考えよう.

結論から言えば,「文系学問の院へ行くと就職が不利になる」という俗説は信用しなくてもいいと思う.文系学問の修士課程で得られる知識や技能を活かせる会社は間違いなく存在する.たとえば私であれば統計分析と人間行動への関心を評価された(のだと思う).友人には教師や,学術書の出版社に就職した人がいる.要は適材適所,ということである.「自分は何をもっていて,相手が何を欲しがっているか」ということが分かれば,文系院生でも学部生と変わらず就職は叶う.

院生であることはむしろ有利にはたらくこともある.これは業界・企業によるが,修士卒は学士卒よりも初任給が高いことがある.業種によっては昇給も早かったりする.2年間の人的資本の蓄積を評価してくれる企業は意外に多い.

一方「理系学問の院生」と比べれば不利かもしれない.これは業種の幅による.技術職や研究職の枠を持つ企業ではそうした理系院生への枠を設けている場合がある.しかしそれも文系院生と理系院生では立つ土俵が違うというだけである.気にするだけ無駄なので,自分の土俵を見つけよう.

 

……とは言っても,この考えは私が就職活動を通して思い至ったことなので,実際に働いている修士卒の先輩に話を聞くのが一番かもしれない.私がこれを語るまでには,1年待って欲しい.

博士課程は文理問わず壮絶な世界である

一方,博士への進学はそれなりに覚悟がいる.これは文理を問わず,学者として生き残ることは相当な苦労がある.つまるところ,修士では成立するような「興味のあることについて考え続けたい」という動機だけで生き残れる場所ではないと私は考える.

結局私はそういう覚悟ができなかった.博士で失敗した場合の損失を埋め合わせるだけの余裕がないと判断した.

相応の覚悟を持っているなら,文系学問でも博士課程へ進学することは悪いことではない.それを「悪い選択だ」という人とは住む世界が違うので,認識から外して構わない.

 

以上です.

*1:博士に行かなかった理由はまた別のエントリで書こうと思う.

日本での貧困に関する言説による"推察"

はじめに

就職するのでどうせ研究することもない(が,雑誌論文として世に出るかもしれない)し,自分の研究に関連しつつも修論では捨象したことについてまとめておく.

私が卒業論文修士論文で取り扱ったのは「社会的排除」とくに「貧困」の一側面である.テーマ的にも実際に執筆した成果的にもありふれており,別段面白いものでもないのだが,それはそれ*1

捨象したこととは,突き詰めて言えば「貧困の定義」である.よく絶対的貧困相対的貧困がある,ということはWikipediaを見ればわかる.絶対的貧困はおいておいて,相対的貧困の話をすると「相対的貧困は本当に貧困なのか?」という話で賛否両論である.今回はこの話について,人の言説を質的に見ることで考えてみたい.

インターネットの海を漂うこの記事が,どんな知識背景の人に読まれるかわからないので,とりあえずレギュレーションを述べておく.

この記事にあることが貧困の全てではない

この記事での考察は,「貧困」という社会現象の全てを記述・説明するためのものではない.そもそも,(これは貧困に限らず社会にあるあらゆる概念に対していえるのだが)貧困という社会現象に対して良い記述・説明を与える理論について同意が得られているわけではない*2*3

したがって,ここで推察する事柄を世の中の貧困に広く適用して考えることは賢い人間がすることではない.あくまで修士学生という若造が,自身の研究の残り物で考えた「論考の残滓」であることを忘れずに読んでいただきたい.

具体的な議論ではない

この記事は「どうすれば貧困がなくなるか」という問いに答えるものではない.この点で「実際に問題解決のために動く」ことからも「政策を問う」ことからも遠い.「貧困」を純粋に社会という場で発生する「現象」として,学術的対象として貧困を捉えようとする試みである*4.「今ある貧困をどうにかする」ための議論ではない.

つまるところ,ここに書くことはまさに「机上の空論」である.

 

……これくらい書いておけば分かる人にはわかってもらえるだろうか.

正直ここから長いので続きを読む機能を使う(最初から使え).

 

*1:私の知る「ちょっと厄介な」社会学の人には「なぜ私がこの研究テーマを選んだのか」ということにこだわるタイプが一定数いる.正直な話,そんなことを語るのは飲みの席で十分であるにも関わらず,フォーマルな場でそれを語りたがるのはなぜだろう.至極無意味だと思う.

*2:たとえばこの論文(Callens and Croux 2009)でもそのように前置きをした上で,限定的な記述・説明を可能にする社会理論を提示している

*3:どのような記述・説明が「良い」かはまた別の記事で書きたい話なので,今回は「単純明快に」程度の意味合いでとどめておく

*4:このあたりの立場はDurkheimの方法論を過大に解釈した結果こういうことになった.

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社会科学系院生,就活をした.

企業からのお祈り通知で気絶した管理人です.

 

 

とりあえず(すべてうまく行けば)春から会社員であること,

Twitterのフォロワーには修士で就活予定の人がいるようなので,

自分語りをしようと思います.具体的には,時系列に沿ってダイジェストでお送りします(すでに具体的ではない).

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Poisson分布でどう使えばいいかわからない性質の話

はじめに

修士論文は無事書き終えました.

そんなことよりも「これ,面白さはあるんだけど一体どういう局面で使えばいいんだ」という事実を見つけ,見たところ日本語での証明方針はなさそうだったので(いくつかヒントはありましたが),備忘録的に残しておきます.

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最近の話

最近はRがver. 3.4.2にバージョンアップしたり,Rstudioがバージョンアップしたりしまして,研究開発環境のバージョンアップが加速しました.

 

あ,Visual Studio Codeも導入したりして,PythonRubyを勉強する環境ができました.あとは勉強するだけです.……

 

最近研究周りできっかけづくりのために読んだ本は以下の2冊.

www.amazon.co.jp

 

www.amazon.co.jp

 

一通り読んで「確かにそういう現状,あるよね~」という感想でした.

本間氏の書籍では,「ちゃんとした」家に住めていない人が増えているという問題を,

過去の持ち家優遇政策から現代若者の居住貧困に至るまで長い推移を論じています.対比対象には「住む権利」を基本的人権として認め法整備を進めるフランスを挙げ,日本での住宅格差の深刻さと,それに対する政策導入の必要性を論じています.

 

稲葉氏の書籍は,彼自身が応対した経験も踏まえ,日本の社会保障制度の最後のセーフティネットである生活保護制度の現状を批判的に検討しています.

給付額の引き下げや,受給者の状況などを取り上げながら,制度が「機能不全」であると論じます(とりわけ空調設備は生活保護制度では賄えなかったということが事実としてあったらしく驚きました).よく聞く「水際作戦」や自助・共助の限界といった問題に話を進めます.

 

両方の書籍とも,日本における社会的弱者が抱える問題や,それを支える制度について論じるものですが,どちらもNPO法人との関わりに触れています.

とりわけ本間氏の書籍ではNPO法人と民官の連携による住宅問題の是正へ期待を寄せており,本間氏の書籍では提言こそ政策に向けたものですが,それでも生活保護を必要とする人びとと窓口をつなぐNPO法人の存在を評価しています.

 

……個人的には,NPO法人の活躍は,制度が変わるまでその役割を代替する存在であり,制度が整った時にNPOが解散することが,制度が対象を救済できている証左として重要だと考えています.社会学だと「NPOの存在・活動が社会的弱者を救済している」という論じ方をしますが,そもそも彼らが公的な制度によって包摂されていれば,社会的弱者を救済するNPOも必要ないはずなので,「NPO法人による解決」を主張する論調は少し怖いなあと思います.

これは私個人が大きな政府論に支持しがちというところからも来ているので,小さな政府論を支持しがちな人はNPOによる解決の主張は妥当性を持つものになるんだと思いますが……いやはや,社会問題って難しいですね.

 

まとまりがないまとめでした.

上野千鶴子「みんな平等に貧しくなるしかない」←本当か?

 

実はメインはこれじゃない

後半眠くなったのでそのうち編集しますがこのまま公開します.

さて,先程の記事は実は飾りだ……

chuplus.jp

実はこの記事に対し,「それじゃあ筆者が『敵認定』せずにちゃんと批判しちゃおうじゃあないか」というのがメインです.

そのためには,上野の発言の何処を批判するのか,ちゃんと線引をしなければなりません.ちゃんと読んでちゃんと批判したいです.

あ,これは個人的な意見ですが「ある社会が衰退する」ことは,僕は別に考えてはならないことだとは思っちゃいません.むしろ社会学者として社会の衰退を考えることは重要だと思います.上野千鶴子のこの発言の問題は,「日本の衰退」の根拠がガバガバで,それに至るまでの諸々がガバガバであることです.まあ学術論文でもないのでそういう所を変にボコるこの記事もこの記事でアレですが.

あらかじめことわっておきますが,筆者は主観を批評しません

「上野的にはこう思う」を「こう思うな!」っていうことに何の意味もないからです.

具体的には,

 主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。

という部分は今回あえて無視します(できませんでした).

……あくまで本人が客観的に述べている点を見てみようと思います.

「日本は衰退以外ない」らしいです?

「日本は今,転機」らしいです.何の?

おそらくそれは後の文に出てきます.国語の解説みたいですね.

移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。

 つまるところ,「今の日本は人口が減少している」という問題に立脚して,「日本の衰退」を語るようです.なるほど.

「日本の人口が減少している」と言うのは厚生労働省的にも認めているようです

http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/dl/07.pdf

また,国立社会保障・人口問題研究所でも人口減少の問題を指摘しているようです.

http://203.181.211.2/pr-ad/j/soshiki/ipss_j2014.pdf

細かい論文を見なきゃいけないのはおっしゃるとおりですが,

とりあえず,ここでは「日本の人口は減少している」ということを受け入れましょう.

人口維持のためには「自然増」と「社会増」?

人口を維持する方法は二つあります。一つは自然増で、もう一つは社会増。自然増はもう見込めません。泣いてもわめいても子どもは増えません。人口を維持するには社会増しかない、つまり移民の受け入れです。

ここは重要な部分です.なにせここから「衰退」を導いているのですから.

ここでは,批判点を幾つかに分けてお話します.それ以外の批判は他の人に任せます.

「自然増」「社会増」って何?

まず,この2つの概念を整理します.この2つは人口学の概念(らしい)です.

「自然」は出生数と死亡数の差,「社会」は移住者の数(場合によっては転出者との差を取る場合もあるっぽい)を指すようです.

これらは人口の変動に関わる2要素です.人口減少は自然減,社会減あるいは(自然,社会)の人口変動の和が負になる時に起こるようです.

人口学上,人口変動をこの2つの要因で考えることには一定の同意があるようです.

*1

上野が人口減少の原因を自然要因,社会要因の2つで考えていると仮定して,話を進めます.

「自然増」は本当に見込めないのか

上野は「自然増は見込めない」と述べています.それには「社会学的なエビデンスがある」とも.正直そんなエビデンス知らないんですけど.どの論文に人口の自然増が見込めないって書いてるか教えてほしいです.むしろ政策次第で自然増が見込めるかもしれないというエビデンス見つけちゃったくらいです.

自然増の条件は定義に従えば「出生数が死亡数より大きい」ことと言えそうです.

確かに日本は少子化が叫ばれていますし,このことは先進国一般に言えるとも言われます.とりわけヨーロッパでも少子化は社会問題として取り上げられます.

一方でヨーロッパの中には,自然増が起きている国もあります.フランスです.

www.esri.go.jp

この記事の事例では,フランスの出生率の高まりの要因に社会政策を挙げています.

具体的には育児支援が,経済的にもサービス的にも充実しているということを指摘します.事実,人口は近隣ドイツのそれよりも高い比率で増加しているようです.

フランスの出生率2.01 - La France au Japon

在日フランス大使館による報告によれば,自然増による人口増加が認められるとのこと.フランスでは政策によって家族を支援する体制が整っていて,コレが人口の自然増を後押ししていると述べています.

これが将来的にどうなるかは分かりません.誰にも将来は分かりません.フランスは実績として,自然増を達成しているということ,政策がよい効果を与えているらしい,ということは言えそうです*2

 で,日本での人口自然増が見込めないという推論の「社会学エビデンス」は何処ですかね……*3

日本は「社会増」に対応できない?

客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。

と,上野は述べています.

ここでいう「世界的な排外主義の波」とは何か.

辞書通りの意味であれば「外国人と,それに関わる色々を自国から排除しようという考え方」でしょう.

ヨーロッパでの移民問題や,アメリカのトランプ政権下での外国人排除の潮流を踏まえて,このように述べているのだと思います.

一方で,日本は外国人労働者を受け入れる様になりました.しかし,劣悪な賃金体系や生活環境が問題にもなっています.

さらに言えば,「労働力不足に日系人を充てよう」みたいな発言があったり,外国人に対する日本での労働需要が低かったりと,労働力目的一つをとっても,上野の言うように,外国人を受け入れるということに苦しんでいるようにも見えます.

ただ,これらはぶっちゃけ国内の制度構造に問題があるのであって,実際日本人がどれだけ排外主義であるか,ということには直接は結びつかないように見えます.

「日本人が排外主義だから制度が充実しない」という論も通るんですけど,ちょっと資料が足りないです.なにせ日本の排外主義意識は大体お隣の国に対するもので,近年増えている東南アジアからの移民・労働者や,難民などに対する意識については研究途上だからです.

さて,現状の日本は社会増に対応できないかどうかではまあ「できていない(今後もできないとはいっていない)」と言うほうが近いと結論します.できていない要因は見かけ上不十分な制度整備にあるのであって,「排外主義の波」に飲まれているからとは必ずしも言えないと思います.

ちょっと主観を見てみると「移民は日本にとってツケがでかすぎるので,多文化共生に耐えられない」という主観らしいですよ.だから社会増は無理なんですって.へー.

根拠が主観

無視しますけど.

「人口減少」は「衰退」と繋がるか?

上野は「日本の人口減少」を取り上げ,将来的な「自然増」は見込めず「社会増」には社会が適応できないので,「社会的不公正や治安の悪化」の伴う「活力ある社会」より「外国人を締め出した平和にゆっくり衰退する社会」を実現するべきだ,と述べます.

(日本は自然増が見込めず社会増に耐えられないの)だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。一億人維持とか、国内総生産(GDP)六百兆円とかの妄想は捨てて、現実に向き合う。

 さらに

日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。

とも.この辺がキモですね.

上野の言う「衰退」は何を意図しているのでしょう.文脈からすれば,「一億総貧困化」とも言うべき過程を「衰退」と呼んでいるらしいですけど.

この記事では「衰退」を「一億総貧困化」と仮定して話を進めましょうか.果たして「人口減少」が「一億総貧困化」といかに繋がるのでしょう.

……ある人はこう言っています.

 

55-years-old-blog.hatenablog.com

誰だかは知りません(えっ).

この人曰く,「人口少なくても国民一人あたりGDPを日本より高く保ってる国めっちゃあるし人口減少は必ずしも貧困にならなくね?」というお話.

人口減少があっても,豊かな生活は送れるということになる,とも述べています.強く出たなあ.

他の国が如何にしてそれを可能にしているかまでは示していませんが,データはそう言っているらしいですね.

そもそも「総貧困化」なんてものは起こり得ないんですよね*4.国民全体の所得がどんどん下がっていくことを貧困化と考え,「衰退」と定めているなら,それは上野先生,貧困理論を抑えてない.

では「衰退」が「国力の減衰」であるとするならば?

それなら筋は通りそうです.でもそれは人口減少が止められないなら,の話です.

先に述べたように,人口変動には自然要因と社会要因があります.そして,どっちも「政策が上手く行けば」増やすことは(理論上)可能です.ある国でできたからと言って日本でうまくいくとは限らないですけど,政策による介入が上手く行けば,「皆平等に貧しくなる社会を歩むべき」日本にはならないでしょうねぇ.

皮肉にも

私は「制度を動かすのは人」が持論

と仰っていましたが,出生数を上げる制度が整備されれば,上野の主張は崩れます.

……問題はそれがちゃんと整備されるのか,というところですが.

「みんな平等に貧しくなるしかない」という主張には「や,まだどうにかなるっしょw」というくらいの反論はできそうです(弱々しい).

結局「政策・制度次第」かよ!

上野の主張に対する批判としては

  1. 人口の自然増は政策次第で日本でも「見込める」ので,「人口減少不可避」という前提がおかしい.
  2. 「社会増も無理」の根拠としての排外主義には根拠が足りていない.というか根拠が主観.
  3. 人口が少ないからと言って一人ひとりが貧困になるわけではない.
  4. ところで何を以て「衰退」と成すの?

というところです.マルサス的にも人口の抑制はむしろ貧困や飢餓の抑制に効くらしいですよ.

致命的なのは,「日本の緩やかな衰退」を主張する根拠が,今回無視した主観に依るところです.確かにヨーロッパを中心に移民の受け入れ,難民保護は議論になりますし,排外主義的な方針が目立ちますが,そもそも「排外主義」が道徳的に善いものとして受け入れられているわけではない以上,何らかの形で彼らを社会に包摂する流れになると思います(甘い希望).

そもそも日本で移民や難民が議論されるのは近年の話であって,国も「これから移民とか受け入れていく必要はあるなあどうしよう」というところだと思われる中,「日本が多文化共生社会に適応できない」と主張する挙句,その根拠が「ツケがでかすぎる」という野獣先輩新説シリーズもびっくりな主観的基準なので,社会増が無理かどうかは「いや,わかんねっすけど……」となります.

筆者は移民や難民,それを取り巻く政策や各国の対応,国民の意識等には詳しくはないのでコレ以上は言えません

上野の「社会保障制度の充実」という社会民主主義的(北欧諸国みたいな)な方向性については別段反論はないです.高負担・高福祉の社会で国が回っているなら,それはそれで良いとは思います.

でもその社会にも色々問題があるのです……

でも……?

「社会がなんやかんやで間違いなく衰退する」という局面に直面した時,社会がどう変化するのか,という思考実験は面白いと思います.筆者はTwitterでこの点だけは評価してました.

社会過程の中で,社会がどう形成され,発達し,成熟するのか,というところまでは考えが及びます.しかし,誰も「社会はどう衰退するのか」について議論していないようにも思われます.

宇宙の始まりと宇宙の終わりが議論されるのと同じくらい,社会の始まりと,社会の終わりについても議論されて良いんじゃないですかね.

勿論抽象的な話です.今の日本がそういう過程にあるのかについては別途データなりなんなりで示す必要があります.ある社会S(SocietyのSであってSyakaiのSではない)が衰退する場合,どのようなシナリオが考えられるか,という話であれば,今回の記事は何かしら示唆を与えるのかもしれません.

 

*1:以下はその一例です.

http://www.lij.jp/html/jli/jli_2015/2015spring_p061.pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/tga1948/16/1/16_1_7/_pdf 

*2:厳密には政策が導入される前と後で,様々な変数を統制し比較した上で結論しなければなりません(ほら,DiDとかそういうの使ってね).

*3:筆者の所属する社会学界隈では「社会の現状はこうであるが,それはコレコレという現代の情勢が前提にあるので,その前提を外しかねない将来を推論することは危険」と教わりました.

*4:現在先進国で広く用いられてる概念は「コレくらいの所得がウチの国で暮らせるギリギリの生活水準だけど,その水準以下で暮らしてる人たちー!君たちは『貧困』でーす!」という基準(相対的貧困)なので,どんだけ国民の所得全体が下がったところで,その基準も同時に下がるので,「皆貧しい!」って状態はありえないんじゃないんですかね.