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「当たり前を疑う」ということ

……タイトルの通り,詰まるところ,「当たり前を疑う」という行為は,どうやら誰にでもできる行為ではないらしいのです.

「当たり前を疑う」ためには,まず自分がどんな「当たり前」に塗れているのかを説明しなければならないのです.例えば男はよく働き,女は家庭に入るべきだという「当たり前」なのかもしれない,あるいはまた,「年上には無条件で敬語を使わなければならない」のかもしれない.もしかしたら「就職を希望する会社の社長のTwitterを見る」ことが,「当たり前」なのかもしれません.

でも自分がどんな「当たり前」に塗れているのかを自分で理解するには一人じゃ足りません.精神的に.もう一人「自分を見る自分」が必要になります.

 

意識が高い話か?と思っている皆さん.安心してください.くだらない話です.

 

「自分が呼吸している」って思いながら呼吸をすると,暫くの間意識的に呼吸しないと息がつまりませんか?怒りを覚えた時「自分は怒ってるな」って思うだけで落ち着きませんか?彼らです.彼らが「自分を見る自分」です.

そいつが勝手にでしゃばり始めると,僕のような人間になります.

 

「自分を見る自分」が居ると,何でもかんでも簡単には受け入れられなくなります.「貧乏なのはその人が怠惰だからだ」という常識を疑った結果卒論が書け,修論も書けそうな自分としては,研究しているときは重宝します.一方で,社会生活に適応するには少し邪魔な存在になります.

 

みなさんも僕も,何らかの「常識」や「正しいと思う何か」に従って生活していると思います.一方で,みなさんの従うそれらがなぜ「正しい」のかについて,思いを巡らせる人は多くはないと思います.なぜなら「それは『正しくあるべき』もの」だから.

「正しくあるべき」ものの「正しさ」を疑うと?……

……昔,どこかの誰かが,こういう話をして盛り上がったなあという事を思い出しつつ.

 

例に就職活動を挙げましょう.色々な社会人の話を聞くと,どうやら「働く」ということは「正しいこと」であるらしいです.会社に貢献し社会に貢献する.そして自己を成長させる.これらは「正しいあり方」らしく,疑う余地のない「当たり前のもの」だと.

僕には「働くことは正しいこと」という,普通の人が無条件で受け入れるこの「当たり前」を受け入れる事は難しいのです.「そうだ,それは正しい」と納得する自分に対し「なぜ働くことが正しいといえるのか?」という問いを「自分を見る自分」が突きつけるからです.なぜ?なぜ……?

社会人にこれを問えばきっと激昂するでしょう.

「そんな当たり前のことに疑問を持つのはお前が怠け者だからだろう!」と.

でもきっと「当たり前に疑問を持つ」ことは「悪いこと」ではないのでしょう.保証はありませんが.彼ら・彼女らは怖いのです.「当たり前を疑う」という行為は,自分が信じる物を揺るがす何か大変な行為であると思いこんでいるのかもしれません.あるいは,「当たり前を疑う」と組織に消されるのかもしれません.

 

「自分を見る自分」を持てば「その当たり前,本当に当たり前?」と問うてきます.こいつと上手く付き合えてしまうと僕のようになり果て,こいつを殺すと「当たり前」にすがることができます.どちらが「幸せ」なのでしょう?というか幸せって何?人と違う思考ができる事が幸せを保証するもの?じゃあ不幸?不幸って何……?

 

就職活動中,「なんで君たちはそんなに当たり前を信じられるの?」という気持ちに何度もなったので,ここに書きなぐっておきます.僕と同じような気持ちになった皆さん.安心しましょう.我々は少なくとも「間違ってはいない」のですから.