就職活動では見えない会社の側面の話.
――賢い人はもしかしたら見えているのかもしれない.
前回の記事では就活RTAの感想ということで就活で見える部分について話した.
僕は就職活動を通して,企業の「カルチャー」を見ることはできても,その企業で働く人によって構築される「文化」を見抜くことができなかった.以下は,そんな話.
4月,新入社員研修で叩き込まれたのは「理不尽を許容する」ことだった.
たとえば1日の研修内容では絶対に使わないであろう研修資料も持ち運ぶことを支持された.「いつどの講師が使っても良いように」と.しかし講師の面々は自分が使う資料だけを使って研修をこなす.我々もそれ以外の資料を使うことなく必死にメモを取る*1.
「顧客は無理を言ってくるから」というのがこの「理不尽を許容する」ことの合理性の根拠らしい.無理を言ってくるような顧客とも取引をしなければ立ち行かない経営状態を悟った.
何度か上長を交えた食事会も行われた.そこでは僕の持つ道徳や倫理観では許容できない発言を平気で繰り返す,2世代上の社員の話に2時間あいづちを打つという苦行を強いられることになる.僕からみたらアルハラ,セクハラに当たるのではないか,と思うような発言があったことだけは記しておく.いつかこの会社を辞める時に詳細に書こう.
一方で同期とは交流が少なかった.研修の都合上必要最低限の交流は必要だということになり,食事に行こうということになった.個人的にはあまり会社の人間と会社の外で関わりたくないが,そこで断って輪を乱したらさらなる「理不尽」が待っていると察して承諾した.
当日は何故か上司も会食の場に現れた.2時間が永遠のように思われた.相対性とはかくなることか,という思いが巡った.
こんな理不尽まみれの非効率な研修でも,仕事をする上で必要になる知識や思考について,自分のためになることはあるにはあった.その糧を差し引いたとしても,この「理不尽を許容する」という押し付けは苦痛でしかなかった.
GW前には配属が決定し,以降は部署ごとのOJTが始まった.現在まで続いているが,これが苦痛である.
5月は「これまでにその事業が行ってきた業務を,ある程度のフローに従って実際に足跡をたどる」という研修をこなしている.要は「先輩のとったプロセスに従って,仮想業務をこなせ」ということだ.
天の邪鬼な僕は先輩が出した出力と同じ結果を出す,別のプロセスを選択した.理由はそちらのほうが「僕にとって効率的だった」からだ.
「正解はない」と言いながらも,その先輩は自分のとった方法が最高効率だと信じて疑わないようであった.僕は「はい,申し訳ありませんでした」と言い,それからというもの,僕は先輩の出した答え同然のヒントと一言一句違わぬプロセスで結果を示し,先輩の「よくやった」に喜んでいるフリをしている.
一応修士での経験の延長のような仕事をしているが,息苦しさが半端ではない.
第一に「新しいこと,自分で考えたこと」や「新しいことに挑戦する意欲」を一切評価してもらえない.「新人が考えることに価値はない」という社内の同意と圧力を感じている.評価をされるのは既存の方法を学んで今までやった業務を今までどおりにこなす人間で,多少なりともリスクをとろうとすれば給料レベルで差し引かれる.僕はどちらかと言えば「組織の悪い部分は変えてしまおう」と思えるほうなのだが,誰一人としてその意欲を評価してくれないことに息をつまらせている.
第二に「共有されている価値観が前時代的」である点がある.性別による差別的な発言をそうと認識しなかったり,世代間の差別をしたり.特に合わないと感じるのは「上下関係」である*2.仕事の出来を問わず,年功で使う言葉を変えなければならないのは苦痛でしかない.
第三に「仕事の評価軸がブラックボックス」である点.何をすれば評価が上がるのか,どのような目標が僕に課せられているのか,一切見えない.ただ上司は僕が日々先輩の足跡を丁寧丁寧丁寧にたどっているところを見ながら数値を入れているらしいが.
第四に(個人的にはコレが一番致命的だと思われるが)「管理職クラスが勉強しない」ことがある.報告者以外誰も発言しない会議,決定事項が何一つない会議が重なっている上,「参加することに意義がある」の一点張りである.何も決まらない話し合いなど存在そのものが無駄なように思われるが,それで仕事をした気になっている.その上その現状をよしとしている.なぜなら今までやってきた方法でこれからもなんとかできると思っているから.
意欲のある管理職は少ないながらにいる.しかしながらそういう人たちは多くの仕事を任される.忙殺され,勉強する時間を「奪われて」いる.
要するに,僕と今の会社は,働いている人が構築している「文化」の側面で相性が悪い.
僕はたとえ仮想でも,課題を受けたら自分なりのプロセスで一度やらせてほしいし,そうして出した結果について評価してほしい.
何も決まらない会議に出て意味のわからない単語をメモしながら議事録をまとめるくらいなら,自分のデスクで仕事に関連する本や資料を読ませてほしい.
個人の属性や私生活に介入するような会話をするくらいなら,話しかけるのを辞めてほしい.
これらの要望に「そういうことを経験することこそ,社会人として大事なことだ」と「何かを知った気」になってお説教をしてくる「労働者」が,僕の評価をしてくださるんだ.定時を越えても誰も帰宅の準備すらしていない.今一番帰宅が早いのは僕だ.白い目で見られながら退社をする.
入る会社を間違えた.仕事が何一つ楽しくない.