と。

統計学は趣味、マーケティングは義務。

「働かざるもの食うべからず」の時代は終わった?

zasshi.news.yahoo.co.jp

 

こんな記事がありました.たしかに僕も明日の飯に困るほど生活に困窮しています.......これは今回の話にあまり関係しないんですけど.

一般に貧困は,失業をきっかけにもたらされることは誰が見ても「それはそう」という帰着になるんじゃないかなあと思います.一方で,一時期「ワーキングプア」というワードが取り上げられたように,労働していても貧困の状態にある人々の存在も,たしかにあります.

たとえば非正規労働者,特に女性の非正規労働者ワーキングプアになりやすいです.日本では母子家庭の貧困リスクは普通の何倍も高いんですよね.詳しくは阿部彩さんが書いてる『子どもの貧困』(岩波新書 2008)とか読んでみてもいいかもしれません.

「働かざる者食うべからず」なんてことわざがあるように,昔から労働は人間の生活にとって重要な行為に位置付けられていました.日本の憲法で「国民の義務」の一つとされ,いろいろな宗教でも美徳となされていますし,労働ってすごい大事な行動だったらしいですね.

今の我々の価値観はどうなのでしょう.労働が大事な行為だという認識はどこまで認知されているのでしょう.

人によっては表現・創作活動は労働ではないと言う人もいるかもしれません.ですが彼らはそれで生活ができています.Youtuberは労働者でしょうか?賛否の分かれる存在だと思います.

そして,彼らのような生活の仕方を良しと思わない人もいる.世知辛いです.仮に彼らが労働をしていないとするならば,「働かずとも生きていける」ことになりますね.

その上,2010年代は人工知能の発展が目覚ましく,「人工知能によって労働が奪われる」とか危機感を抱く人々も現れる始末.

 

すなわち,我々は改めて「働く意味」を考えなければならない時代を迎えた.なんてことはもはやいろんな人が言っています.

就職活動をしていると「働く意味とは?」みたいな問いには幾度となく直面するでしょう.若者はそれに対して「成長」「自己実現」等を並べます.なんて抽象的なのでしょう.どれだけ履歴書に「どんな成長か」を書いても,その具体性は「働く」という具体的な行為に届きません.

人類の歴史での労働は,奴隷にとっても近代の労働者にとっても「働けば生きられる」,「働かなければ死ぬ」というような(奴隷は「働いても死ぬ」状況下でもあったのでしょうが……),ともかく「生きるため」に必要不可欠な行為であり続けたのだと思います.

産業革命のときも,おそらく「機械に労働を奪われる」という危機があり,労働の意義が問い直されたものの,経済構造の変容という方法でどうにか社会全体では「生きるために働く」というテーゼを崩さずに対応できたように見えます.

現代はどうでしょう.経済は発展し,特に先進国家では社会保障制度も充実し,インフラが整備され,インターネットでなんでもわかり,AIが会話してくれる時代です.今までの働き方とは違う方法で生きる道を見つけることができる時代に,わざわざ「労働する」ということにどのような意義を見いだせるのでしょう.

必ずしも生存を保障しなくなった現代の「労働」という行動には,一体何の価値があるのでしょう.これまで人類は,あの手この手で「生きるために働く」というテーゼを守ってきたはずなのに,その英知と技術によって,みずから「働く」ことの優先度を下げてしまったのではないでしょうか.「労働」の価値の変容は,既存の社会秩序を大いに揺るがす事態になっているのではないかと考えます.

問題は,労働という行為の価値の変容が,いかに社会秩序を揺るがし,そして社会はいかにして安定した秩序を再構築するのかという部分です.

たとえば現代は,(事実そうではないのに)「働かざる者食うべからず」という価値観が共有されています.その価値観によって我々は労働をし,「食う権利」を得るのですが,その実食えないという不条理にぶつかります.

一方で,働く以外の方法で食っている人々も増え始めます.すなわち「食う権利」の規制緩和です.規制や規則の緩和は,人々の欲求を増大させることにもつながります.「ぼくもYoutuberになりたい」「イノベーションで勝負したい」「ホットなトピックにコミットしたい」……いろいろな「食う権利の得方」が生まれます.

そしてそうした方法で「食う権利」を得ないようにするために,改めて規制しようとしてもうまくはいきません.社会全体として「食う権利の得方」の制御ができなくなります.

フランスの社会学者で社会学という学問そのものの祖としても知られるデュルケームは,こんな状態を「アノミー」と名付けました.比喩を申せば「病気になった社会」でしょうか.

 

……もしかしたらこの時代は,デュルケームのいうアノミーの状態にあるのかもしれません.社会秩序が不安定になり,我々が「生きるため」に必要だと信じられてきた「労働」は,もはや必ずしも必要ではなくなってきているかも知れません.行き過ぎた結論ですが.

そうした秩序の不安に対し,ベーシック・インカムなど,「いっそ国民全員に1か月のお小遣いあげちゃえばいいんじゃない?」みたいな発想の構想は進んでいるようです.オランダのユトレヒトでは実験的に導入されていますし,北欧でも実験的な導入を議論しているらしいです.

「労働」という行為が「趣味」レベルになる時代もそう遠くはないのかもしれません.